貧乏をネタにする。序章編

貧乏とは、話の宝の倉庫である。

私が生まれたのは、それはそれはヤバい田舎

人口より牛や馬が割合を占めていた

いや、馬のほうが偉いのだ

我が家は、ボロッボロの公営住宅でここ数年までボットントイレという貴重なおトイレ様であった

そう、ご想像の通り絵に描いたような「貧乏」というやつだ

父は破天荒でクズだったようで(母談)

すぐに勝手に仕事を辞めてきたり

灯油代を渡して払ってきてね。と母に言われたその金をパチンコですべて溶かして秘密にし

雪国では命綱のストーブが真冬に止まって、ようやく事件が判明したり

借金取りが来たときは母を置いて逃げ

父は自分の姉などにこっそり金を借り、飲んでは夜中に吐いて帰宅

ケガも絶えず..トラックで横転したり、足に釘が刺さっていた事もあったな。。

夫婦喧嘩はしょっちゅうで母はいつも「お前たちが大きくなったら離婚する」と言ってた(笑)

そんな父なもんだから、私含め3人の子を養う為、母が働き始めた。

私は1歳ほどで保育所に入り、小学生の頃は鍵っ子だった。

さて、ここまでの話を見たら 可哀そうと思いますかね?

いいえ、めちゃくちゃ楽しくて幸せな子供時代なの!!

貧乏が普通だったので、まず裕福が何かを知らない(笑)

おさがりが普通なので、新しい服を知らない(笑)

ご飯は、味噌おにぎりが最高だったし、カニカマを本物のカニだと思ってたし

たまに小麦粉で作ってくれるホットケーキは贅沢でクソおいしいのだ!

おばあちゃんが育てたトマトやキュウリは食べ放題だし、近所のおじさんが一輪車くれたし

金のある友達がローラースケートを片足貸してくれる。

あの破天荒な父は、めちゃ子煩悩なので

一緒に野球したりイベントや祭りや旅行..色んな所に連れていき遊んでくれた

確かに、サンタさんにお願いしたはずのプレゼントがいつも間違っていたり(笑)

友達が習い事してるのに、自分は行けなかったり。

友達の家より遥かに我が家がボロい事に気づいたときは

「あー金無いのかー」って思ってた….だけ。

恥ずかしいと思った事も数回あったかも知れない。

欲しいものが買ってもらえなくて駄々をこねた事もあっただろう。

お金が欲しくて中学生からバイトしてたし(知り合いの店の手伝いね)

おかげで高校ではバイト成金となったのだ(笑)

私は幼心からこの「貧乏≠不幸」という式をDNAレベルで学習した為

この後にやってくる、壮絶な一人暮らし貧乏をのり越えられたに違いない(笑)

また大人になるにつれて、うちの貧乏ネタ めっちゃ面白いんじゃね?となり

今や飲みの席や家族で集まった時のすべらない鉄板ネタとなった。

背景には、母のただならぬ苦労があったと思う

しかし、環境に嘆くことなく ネタにさせてくれてありがとう。と

30代になってからようやく貧乏への恐怖から解放された気がする。

今も子が生まれてから、何とかやっていってる

裕福ではないが十分幸せであるのは、根本にこの貧乏魂があるからだと思う。

金の悩みってホントしんどいよね。何度も胃腸炎になったし(笑)

大人になって悩んだ事もあったが、現在の私がたどり着いた結論は

「貧乏をネタにするために、とりあえず生きろ!」って事だろう。

ちなみに、今は「お金」について色々勉強したり情報収集している。

知識や知恵はとても大事だ。

誰も教えてくれない上に、知らないと搾取されるだけなのだから。。。

MAKI

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