私が小学校6年生の時
父が突然「急性リンパ腫 白血病」となった。
父は健康筋肉モリモリ色黒野郎だったので、病気とは無縁だったが
私が気づいた時には、家から車で片道3時間もかかる病院に入院して
いつの間にか、ツルッパゲになって
いつの間にか、大好きだったモリモリの二の腕が細くなっていた
母も誰も口にしなかったが、父とはもう会えないかもしれない。と感じ始め
半年ほど経った頃
先生が授業中に私に家に急いで帰るようクラス皆の居るまで伝えた
あまりにもいつもの先生じゃなかったので、教室は静まり返って私は動機が止まらなかった
小学校から家までは徒歩10分もしないのに、どんなにダッシュしても足が遅く感じて
怖くてしょうがなかった。
病院に到着するも、父は動かないし。ただただ静かな残酷な時間が待っていた。
伯母達が、父の傍にいるよう私たちを病室の中へ促すが
私は、すごく嫌だった。怖かった。死ぬ事が分かってしまったのだから。
「なぜ、この人達は 父が死ぬのを見せようとするのか?」
と思っていた。
一晩経って、50代という若さで父は天に旅立った。
泣けなかった。
泣いちゃいけないと思った。
兄弟みんななぜか思っていた。
今でもなぜそう思ったのか分からないが、もしかしたら
泣いたら死んだことが事実になってしまうから、母が悲しむから、可哀そうと思われるから…
色んな気持ちがあったのかもしれないが、あの時は必死にドリフの大爆笑を頭で何度もリピートしていた。
12歳の私には、死というものを鮮明に実感するには十分だった。
その後、私が20代の間で
おばあちゃん、親友の子の母、幼馴染の子の父、親戚のおばさん、学校の先生と
亡くす機会が多かった。
また、兄も30代で父と同じ「白血病」となる。この話は次回話せたらと思う。
そんなこんなで、ざっくりいうと
「人は予期せず、あっさりと二度と会えなくなる事が普通にある。」
だから、私は慣れ親しんで傍にいる事が普通になればなるほど
「今日が最後かもしれないから できる限り悔いのないように、大事にする。」
大袈裟でもあるが、これが心にあるだけでだいぶ違うもんだ。接し方も言葉遣いも少しづづ変わる。
それでも、大切な人を亡くす事に慣れるわけでもないし、本当に苦しく悲しい。
あれは本当に味わいたくない。。。
けど、時間はかかるけど絶対に悲しみが少しづつ寂しさに変っていって思い出になる。
あと、絶対に泣いたほうがいい。泣くのを我慢するとだいぶ年月かかる(笑)
正直、23年経った今も父の事を思うと泣いてしまう事もある。
しかし、今が幸せで笑えるし悲しみに明け暮れる事は全くない。
何年かかるか人それぞれで、今苦しんでる人や「いつまで苦しいのか」と考えている人がいたら
少しでも参考になればと思う。
無理に忘れる必要も、元気になる必要も、ましてや無理に思い出して泣く必要も、何も必要ない。
本当に月日しかない。そのままで居ればいい。
MAKI
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